小学校の国語の教科書が懐かしいあなたへ|大人こそ読み返したい【名作絵本3選】

小学校の国語教科書の名作を紹介する記事のアイキャッチ(黒板とチョーク)
動画配信やSNSに、気づけば時間が吸い込まれていく日々。
たまには少し離れて、懐かしい物語に会いにいきませんか?
元出版社編集者で、今は書店の児童書担当である「いとの」が、大人にこそ響く絵本とことばを綴ります。

新学期、国語の教科書が配られた瞬間から、読みたくて読みたくてうずうず。
結局我慢できずその日のうちに全部読んで、「楽しみが一瞬で終わってしまった」と感じていた文学少女は、私だけではないはずです。

インパクトのある挿絵や、ある一節は覚えているのに、タイトルが思い出せない。
書店にも「タイトルも作者もさっぱり覚えていないけれど、こんなお話だった気が…」と、教科書に載っていた物語を探しに来られる方も少なくありません。

この記事では、教科書の作品を“思い出す”ために役立つサイトと、今読み返すと胸に刺さる教科書掲載の名作絵本3冊を紹介します。

  • 教科書の作品を“思い出す”ための便利サイト
  • 大人こそ読み返したい教科書掲載の名作3冊
  • もう少し教科書の世界を楽しむための一冊
目次

教科書の物語が思い出せない!そんなときに役立つサイト

「たしか教科書に載っていたはず」——そんな記憶のあるお話。
教室の空気や挿絵の雰囲気は焼きついているのに、あれ?肝心のタイトルが出てこない

こんな経験はありませんか?

  • 「大きな木の絵」だけ覚えている
  • セリフの一部だけが頭に残っている
  • ラストの場面は鮮明なのに、タイトルが出てこない

書店で働いていると、こうした断片的な記憶を頼りに、思い出の一冊を探しに来られる方に出会います。

そんな時、まず試してほしいのが光村図書出版の「教科書クロニクル」
全国の小・中学校で国語教科書の採択シェアが大きい出版社の、公式コンテンツです。

使い方はとても簡単。生年月日を選んでボタンを押すだけ。
その年代で使っていた教科書の表紙が、一瞬で目の前に現れます。

表紙を見た瞬間、胸がきゅっとして、懐かしさが一気に込み上げました。
「あ、これだ」——自分が使っていた教科書の記憶が、輪郭を取り戻す感じ。

掲載作品の一覧もずらりと並び、あらすじが読めるものもあります。
思い出探しの入口として、心強いサイトです。

懐かしいお話との再会は、小学生の自分との再会
教室へタイムスリップできる、本好きにはたまらないサイトです。


光村図書のサイトでピンと来ない場合は、別の出版社の教科書だった可能性もあります。

以下に、参考になるリンクをまとめました。
思い出の一冊をたぐり寄せる、心強い手がかりになるはずです。

  • 東京書籍株式会社附設 教科書図書館「東書文庫」|蔵書検索
    (作品名検索は、小・中学校の国語教科書が対象)
    東書文庫を開く
  • 教育出版|小学校国語「過去の教科書」
    (教育出版の教科書が対象)
    教育出版を開く
  • 一般社団法人 教科書協会|教科書を知ろう!
    (教科書をもっと知りたい人向け/クイズもあり)
    教科書協会を開く

いとの

ここからは大人にこそ再会してほしい絵本の紹介です。あの頃と違う読後感が、きっと待っています。

まずは、教科書の定番として読み継がれてきた3冊から。

『スイミー』——大人になって気づいた3つの視点

『スイミー』
作:レオ・レオニ
訳:谷川 俊太郎

教科書で読んだ物語の中でも、特に記憶に残っているのが『スイミー』です。

小学生の私は、ラストの「大きな魚のふりをする」場面こそが、この物語のすべてだと思っていました。

  • 協力は大事
  • 諦めず、知恵を絞ればうまくいく

授業で教わった「まっすぐな教訓」が、そのまま胸のノートに残っていたのです。

けれど大人になって読み返すと、『スイミー』はまったく違う顔を見せました。
再読で生まれた気づきを、3つの視点から綴ります。

  • 「孤独」から始まる物語だった
  • いつもの場所から、一歩外に出る勇気
  • 「違うこと」が役割になる

「孤独」から始まる物語だった

読み返してみると、物語は突然の孤独から始まります。
兄弟を一瞬で奪われ、深い海にたったひとり、取り残されるスイミー。

子どもの頃はその痛みに、そこまで心を動かされてはいませんでした。

しかし今は、短いけれどまっすぐなスイミーの言葉が、頭の中をリフレインします。

スイミーは およいだ、
くらい 海の そこを。
こわかった。さびしかった。
とても かなしかった。

年齢を重ねるほど、守りたい存在が増え、大切なものを失う悲しみも知る。

これまでに経験した喪失感と重ね合わせることで、子どもの頃には掬いとれなかったスイミーの孤独が、鮮明に浮かび上がってくるのです。

『スイミー』は孤独を抱えながらも、前を向くところから始まる物語——
あらためてそう気づきました。

いつもの場所から、一歩外に出る勇気

悲しみを抱えたまま、外の世界へ泳ぎ出したスイミーは、さまざまな海の生き物に出会います。

作者レオ・レオニは、絵本の半分近くのページを割き、海の景色を丁寧に描きました。

その美しさは圧巻。
知らなかった世界の素晴らしさ」を、惜しみなく読者に伝えてくれます。

いとの

にじいろのゼリーみたいなくらげの、透明感と鮮やかさにうっとり。ドロップみたいな海藻の林には、レースペーパーの版画を見つけた!

さらに「外の世界のきらめき」が、実はすぐ隣にあると気づき、はっとしました。
安全な「いつもの毎日」を過ごしがちな、大人だからこそ見逃してしまうのかもしれません。

視点を変えるだけで、世界はこんなにも豊かになる。さあ、勇気を出して一歩踏み出してみようよ。

スイミーの勇気は、大人の私たちを外の世界へと導きます。
「見渡してごらん。とっておきの世界がほらすぐ近くに!」と背中を押してくれるのです。

「違うこと」が、役割になる

真っ赤な仲間の中で、ひとりだけ黒いスイミー。

どうしてぼくだけ黒いのだろう。
どうして自分だけ生き残ったのだろう。

他者との違いを、意識せずにはいられなかったはずです。

それでもスイミーは、その「違い」を武器に変えていきます

みんなの「目」になり、群れを導く存在になる。
自分を見つめ、自分にしかできない役割を見つけていく——
“違いが強みになる多様性の時代”にも通じる普遍的なメッセージが、この物語の芯にあります。


幼い私の目には、スイミーが“最初から特別で強い存在”として映っていました。

しかし大人になった今は、違います。

孤独を抱えたまま前に進み、新しい居場所を自分の力でつかみ取ったスイミーは、もともと強いわけではない。
もがきながら強くなった存在でした。

いとの

「ぼくが、目になろう
時を経て、まったく違う意味に感じられる、ラストシーンの名ゼリフ

同じ物語でも、同じフレーズでも、年齢によって見える景色はこんなにも変わる。
再読の醍醐味を、あらためて教えてくれた一冊です。


期間限定でチョコレートのパッケージになった時、家族に頼んで買ってきてもらったのがこちら。「どうして”大きなお魚”の絵柄を選ばないの?」と思っていたけれど、今となっては最高のチョイスでした!

『モチモチの木』——黒い切り絵ににじむ、豆太の揺れる勇気と強い優しさ

『モチモチの木』
作:斎藤 隆介
絵:滝平 二郎

教科書掲載歴も長く、複数の教科書会社の小学3年生で採用され続けている『モチモチの木』。
数ある斎藤隆介さん×滝平二郎さんコンビの作品の中でも、とりわけ記憶に残る一冊です。
書店でも『スイミー』と並び、季節を問わず安定して手に取られています。

怖いのに忘れられない、切り絵の黒と胸に残る言葉

図工の時間に「モチモチの木」を描いた記憶があります。
真っ黒でうねうねと枝をくねらせる木と、対照的ににじむ色鮮やかな月明かり。
怖さを感じながらも、「灯がついたモチモチの木」の不思議な美しさを、どうにか表現しようと夢中になっていた自分がいました。


絵本では珍しい、“黒”が支配する世界
見慣れない切り絵の線は、どきっとするほど力強く、すごい迫力。
大胆な陰影と構図は、まるで感情そのものを刻みつけるようで、子どもの頃から忘れられない絵でした。

さらに記憶に強く残っているのが、物語の中で使われる耳慣れない言葉たちです。

  • 「せっちん」(=トイレ)
  • 「霜月二十日のうしみつ」
    (=丑三つ、つまり旧暦11月20日の午前2時〜2時半)
  • 半道(=一里の半分。約2km)

これらの普段使わない言い回しは、うしみつどきの静けさと不気味さ、さらに切り絵の黒と響き合い、視覚と聴覚の両方から、読む人の心に鮮烈な印象を残します。

そしてもうひとつ、忘れられないのがこの言葉。

「人間、やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっとやるもんだ」

損得を考える暇なく、心と体が動いた時に思い出す、「じさま」からの深いメッセージです。

暗く怖い雰囲気ながらも、この物語に惹かれるのは、この一行のあたたかさと強さが、ぽっと胸に灯るから

怖い。けれど美しい。
黒の不思議な魅力と言葉の力で、小学生だった私も、大人の私も、そして時代の異なる読み手までも惹きつけてやまない作品です。

それはきっと、この物語が読む人の心の深いところをぐっとつかむ温かさを持っているから。
あの夜のモチモチの木は、今も誰かの胸の中で静かに灯り続けています。

じさま“仮病説”? |聞いて驚いた新解釈

最近になって、学校の先生から「じさまの腹痛は仮病だ」という解釈があると聞きました。弱虫な豆太のために、じさまがひと芝居打ったというのです。
これにはびっくり。私には思いつかない発想でした。

映画や小説のように、絵本も短い文章と絵からヒントを読み取り、自由に考察を楽しめる
急に謎解きのような面白さが加わってきました。

いとの

「じさま」の言動に注目!
そう思って読んでみると、仮病のような気もしてきた…

ちなみに、子どもたちの多くは“仮病説”に賛成だったそう。

偕成社から出版されている書籍には、作者のあとがきが掲載されています。
読むと、どうやら仮病ではないと解釈できそうです。

しかしロングセラー絵本でも、一定の解釈を教えられるであろう教科書のお話でも、さまざまな解釈があっていい
このような自由なやり取りが、次の読書へのきっかけになればうれしいと、本好きは密かに思うのです。

みなさんも読み返すとき、「もしかして」と立ち止まり、別の扉を押してみると、新しい発見があるかもしれません。

この物語には、正解をひとつに決めず、新しい視点で読み直す楽しさを提案してもらいました。

じさまのためなら頑張れる——豆太に芽生えた勇気とは

物語のクライマックス。
豆太は腹痛のじさまのため、真夜中に無我夢中で走ります。
そして、灯りのついたモチモチの木を初めて目にするのです。

「豆太は弱虫ではなくなった」
そう思わせる展開です。

しかし物語の最後、豆太はじさまを起こします。
やっぱり夜の「せっちん」に、一人では行けないのです。

じさまのためなら死に物狂いで頑張れても、自分のための勇気はそう簡単には出ない。
そんな不完全なところが、いっそう豆太を愛らしく見せます。

勇気は、一度出したからといって完成するものじゃない。
何度でも揺れるし、消えそうにもなる。
それでも「誰かのため」に、ふっと灯る瞬間がある。

大人になって改めて読むと、そんな心の揺らぎがいかにも人間らしく、温かく胸に残ります。

一見、怖そうに見えた物語の最後で、私たちをほっとさせてくれたのは、完璧な主人公ではありません。
強くなくてもいい。
迷っても止まっても、誰かのためなら動ける——そんな豆太の優しく未完成な勇気でした。

『ごんぎつね』——世代を超えて語り合える、報われない償いの物語

ごんぎつね
作:新美 南吉

新美南吉の『ごんぎつね』は、長年にわたり小学4年生の国語教材として親しまれてきた物語です。

いたずら好きの孤独なきつね・ごんは、兵十が捕まえたうなぎを、軽い気持ちで逃がしてしまいます。
数日後、兵十の母親が亡くなったことを知ったごんは、後悔の念に苛まれます。
——ああ、あのうなぎは母親の最期のためにとったものだったのか、と。

それからというもの、栗やまつたけを兵十の家に届けるごん。

しかしある日、家の中にいるごんを見つけた兵十は、いたずらをしにきたと思い、銃で撃ってしまうのです。

そう、『ごんぎつね』は、小学生が読むにはあまりに辛い結末を迎える作品。

いとの

「ごん、おまえだったのか」
タイトルを聞けば頭に浮かぶ、忘れられない兵十のつぶやきです。

この章では、『ごんぎつね』を読み直すきっかけとなったエピソードを交え、その魅力をたどります。

子育てで再び盛り上がる『ごんぎつね』談

音読の宿題で『ごんぎつね』が出たとき、「ごんが家の中に入った理由、みんなと意見が違ってたんだ」と息子が話し始めました。

授業では、「兵十と仲良くなりたい気持ち」と「恩返しの気持ち」の割合について話し合ったそうです。
大多数が「仲良くなりたい気持ちが大部分を占める」という意見の中、息子は「恩返しの気持ちのほうが強いのではないか」と発表したとのこと。

家では、どうしてそう思ったのかを、たっぷり話し合いました。

かつて小学生だった私と現役小学生。
世代を超えて、同じ物語について”ああでもない、こうでもない”と話し合えるなんて、何よりの至福。
うれしくて、たくさん質問してしまい、「お母さんは本当に国語が好きだね」と呆れられてしまいました。

長く愛されている物語は、親子の会話に花を咲かせてくれます。

いとの

音読は、小学生に戻れる
耳からのごほうび時間!

「隠れて」償い続けていた、ごんの心の変化

『ごんぎつね』を読み返していて気づくのは、ごんがいつも「隠れて」行動していることです。

  • 物置のうしろから兵十を見る
  • 家の裏口からのぞく
  • 道の片側に隠れる
  • 「おれの知らんうちに」入り口に置いていく

ごんは一度も、正面から兵十に向き合おうとはしませんでした。
その行動の奥には「悪いことをしてしまった」という後悔が、大きく横たわっています。

しかし、自分の償いの行為を「神さま」の仕業だと兵十に思われた時、ごんの心に変化が生まれます
それは、「ぼくの懺悔に気づいてほしい」「存在を知ってほしい」という気持ちの芽生えです。

あくる日、ごんは家の中へ入ってしまう。
隠れていたごんが、初めて一線を越えた瞬間でした。
償いだけでは足りなくなり、兵十に「認めてほしい」、さらには「仲良くなりたい」という思いが、行動を変えたのでしょう。

ここで注目しておきたい「問い」があります。

  • あのうなぎは、本当にお母さんのためのものだったのか?
  • 兵十にとって栗は必要なのか?
  • 償いをよろこんでくれているのか?
  • 申し訳ないという、ごんの思いは伝わっているのか?

残念ながら、ごんには確かめる術がありませんでした。
そして「問い」の答えは出ないまま、物語は幕を閉じます。

物語が残した問いの先を、今度はSNSという現代の鏡に映しながら、一緒に掘り下げていきましょう。

一方通行の想いは、SNSにも似ている

この一方通行の償いは、どこか現代のSNSに似ていると思いませんか。

好きで発信しているはずなのに、「いいね」の数が気になり、反応がないと不安になる。
誰かに伝えたいというシンプルな行為が、いつの間にか自分を「認めてほしい」という気持ちにすり替わってしまうことがあります。

相手の状況や本当の気持ちは見えないまま、それでも何かを送り続けてしまう。
兵十の気持ちが見えなかったごんの姿は、ネット越しの相手に思いを投げ続ける、私たちと重なります。

もし、ごんが言葉を話せて、直接「ごめんね」と伝えられていたら。
栗ではなく、兵十と同じ時間を、同じ空間で過ごせていたら。

結末は変わったかもしれません。

撃たれた後、ぐったりと目をつぶったまま、うなずいたごん。
——死ぬ間際の「いいね」だなんて、あまりに辛い。

『ごんぎつね』は、他者との距離感や、思いを伝えるとはどういうことかを、今も静かに問いかけてきます。

『ごんぎつね』が読み継がれる理由

個人懇談の際、先生と『ごんぎつね』の挿絵の話になりました。

日々、書店で絵本に触れている私にとっては、黒井健さんの『ごんぎつね』の世界観がすっかりおなじみです。

一方、先生はご自身の子ども時代に見た教科書の挿絵が忘れられず、今の教科書の絵にはまだどこか馴染めないご様子でした。

息子にとっては、教科書も自宅の絵本も、どちらも同じ『ごんぎつね』。
そのどちらのごんも大好きなのだと、まっすぐに語ってくれました。

時代や媒体に合わせて、異なる書き手によって描かれたごん。
読み手の数だけ思い浮かべる「ごん」の表情は違うかもしれない。
それでも物語が私たちに問いかけるものはいつもまっすぐです。
人間には「言葉を交わし、お互いの気持ちを確かめ合う力があるはずだ」と——

「ごん」の静かで強いメッセージを宿しているからこそ、この物語は世代を超えて、今もなお読まれ続けているのだと思うのです。

教科書の世界を、もう少しだけ楽しみたい方へ

懐かしい教科書の作品に、もう少しひたっていたい。

すっかり忘れていた物語にも、あらためて出会い直したい。

そんなときに手に取りたいのが、教科書に載った名作をぎゅっと一冊にまとめた、この書籍です。
忙しい大人でも、すきま時間に“あの頃”へ戻れます。

小学生のあなたに会いに、いってらっしゃい!

くじらぐもからチックタックまで
編:石川 文子
出版社:フロネーシス桜蔭社(発売:メディアパル)

大人になった今こそ、教科書の物語をもう一度

「教科書に載っていた思い出の物語は?」と聞けば、かならず名前の挙がる定番3作品をご紹介しました。

そんな有名どころの物語も、あらためて読み返してみると不思議。

小学生の頃には気づかなかった、新たな景色や感情に出会えます。

教科書を読んでいたあの頃と比べて、今の私たちには積み重ねた経験があります。
楽しいことも、辛いことも。

だからこそ、当時とは違う心のアンテナで、名作をもう一度味わってほしいと思います。

大人になった私たちに、もう一度そっと寄り添ってくれる物語たち。

国語の教科書は、勉強という枠を超えて、ずっと心に残る「極上の物語との出会いの場」ですね。

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