「積読(つんどく)」という言葉が、
自分の生活にどれほど深く入り込んでいるか、
考えたことはなかった。

積読(つんどく)
- 意味:まだ読んでいない本がたくさんある状態。
- 補足:一応、読むつもりの本が多い。ずっと読まなくても可。
- 表記ゆれ:積ん読
- 用例:「きょうも積読が増えた」/「積読が呼んでいる」
- ひとこと:買った時点で、半分読んだことにしている。
図書館に住みたかった子どもが、こうなるまで
小学生の頃は、図書館に住みたいと思っていた。
気に入ったシリーズを、端から端まで読み尽くしたかったからだ。
自分でも分類しにくい人間だと思う。
「インドア派の体育会系」というのが、わりとしっくりくる。
外で走り回って、次は本を読む。
体育会系の場にいるけれど、目立たない人物。
おとなしく見えるけど、実はそうでもない——そんな感じだ。
電車通学の時期は、通学時間がすべて読書タイムだった。
友だちに会うと「本が読めない…」と内心しょんぼりするほど、大切な時間だった。
大学で日本文学科に進むと、本は「読むもの」から「読まなくてはいけないもの」に変わる。
好きな本ばかり追いかけてはいられない。
苦しい読書、というものをここで知った。
増える本と、時間と、心
結婚し、子どもができてからは、正々堂々と絵本が買えるゴールデンシーズンに突入した。
そして書店員になると、さらに本の量は加速する。
レジ業務は本を売ると同時に、「こちらの商品はいかがですか?」と提案される時間でもある。
まるでネットショッピングのおすすめ欄のように、次から次へと“本との出会い”が差し込まれてくる。
どんどんどんどん増えていく本。
本屋で稼いだお金と、帰りに買って帰る本代、どちらが多いんだろう。
…計算はしないでおく。
もちろん読むつもりで買う本ばかり。
でも集中力は、年々確実に下がっていて、思うように読めないこともしばしばある。
病気を患ったときは、まったく本が読めなくなって、びっくりした。
あんなに好きだったのに。
それ以降、軽い読み心地の本しか手に取れない日々が続いた。
そこにSNSなどのネット。
好きなものを永遠に見ることのできるサブスク。
短い通勤時間。
確実に私の読書時間を脅かしてくる要素ばかりである。
それでも本は買う。
なにより「本を買う」という行為が楽しいからだ。
心が躍る。
それを本棚に並べ、背表紙を眺めると至福を感じる。
さらに、本と私、お互いにタイミングを計っている感じも好きなのだ。

まさか、お忘れじゃありませんよね?



いまじゃないけど、いつか読むよ。たぶん
家族が「はてな顔」をした、ありきたりな言葉
Xの読書垢界隈では、「積読」の量を自慢したり、羨ましがったりして楽しむ風潮がある。
職場にいる本屋スタッフは、積読の常習犯だらけだ。
こんな環境にいる私にとって「積読」とは、「ちょっと太ったかも」くらいの頻度で使う、日常の言葉になっていた。
だからこそ、油断していた。
ある日、何気なく家で「積読、つんどく」とつぶやいていたら、家族がはてなの顔をしていた。
その不思議そうな顔は何だ。
こちらも、はてな顔になった。
彼は「積読」という言葉を、まったく知らなかったのだ。
私は、知らない人がいるということを知らなかった。
あまりに自分の生活に食い込みすぎた、ありきたりな言葉だったから。
”みんなが知っている言葉”だと、勝手に決めつけていたから。
そして、その言葉を家族が知らないことに気づいて、大いにびっくりした。
「異世界」は、こんなに近くにある
案外そんなもんだね、家族って。
お互い趣味のこと、好きなことは、それぞれの世界。
わざわざ言葉にしない。
たまにはぼそっと、話してみるもんだと思ったのである。
ちなみに、たくさん積んだ本はすぐそこにあったので、「これを積読といいます」という説明は、とても簡単だった。
実物を見て、ようやく腑に落ちた顔をした彼。
その顔を見て、改めて思うのだ。
私たちは同じ家に住んでいるのに、言葉の世界は別々なんだ。
同じ空間にいながら、通じない言葉がある。
そのことが、なんだかとても愉快に感じた。
通じない言葉を知り、私の世界の輪郭がくっきりした、休日のできごとである。
